まだ昼は暖かいが。

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今年は断捨離を思い切ってやった。そこで分かったこともある。あれもこれもと残すことは、もしかすると自分に対する甘さにつながるのではないか?と改めて痛感した。
私も決して魚が見えない訳ではないと思っている。あくまでも自分だけがそう思っているだけだが…。
これまで、よくなるかも知れないと思っていた魚は、悉く春以降残った試しがない!逆にこれは勝負と思った魚は半分近くそこそこの魚になった!駄目だけど、良くならないかなぁ?と言う魚はやはり見事に駄目だった!
毎年それでも、もしかして変わらないかな?と思って残してしまうのか?結果、欲深いからで、私の性格なのだ。
しかし、毎年のように飼い切れず手放すと同時に、手放すその瞬間まで飼育池をとられ苦労していた。何年続けているのか?おそらく、20年以上前に、ハネのような魚を手に入れ、翌年の秋の大会で優等魚に入賞した時からだと思う。
よく考えれば、鑑識眼もなかった頃だったのだろう。(今もないが😰)
腰に癖があり、頭も控えめだった。あえて言うと抜群の尾を持っていた。その当時は、癖=ハネ魚としか思っていなかった時期。自己分析してみて、これまでの自分と、繰り返してきた失敗を反省出来る良い機会になった。
コロナ禍によって、飼育に革命が出来た。渡辺美里の大ヒット曲マイレボリューションではないが、自分の考えや、行動を改革するきっかけになった!大改革・革命=(revolution)の実現は、断捨離出来る決心と言う形で出来た。

種魚も本当に何尾も必要なのか?下手な鉄砲も数打ちゃ当たると言う言葉もあるが、自分の能力を超えた飼育であれば、負担ばかり増えて、自分が苦しいだけである。何に基づいて残すのか?そして絞れることで本来残すべき魚に集中出来るかが大事だろうと改めて痛感した次第である。
今飼育している魚は間違いなく大きくなり、場所をとる。その間も他の魚に影響を与えている。押さえるべき箇所をしっかり整理して魚を残したい。まだ当歳魚が数十尾いると言うのは一体何なのか考えないと、苦しいだけであると気付いたと思っている。

ちなみに、写真はメダカ池になった本来はらんちゅう用の養生池である。今は魚の出入りがないので開店休業中のため、メダカに充てている。サッシをかぶせてあるのは、トンボ除け。以前放置していたら、増えているはずのメダカが全然増えていない。水換えすると答えが…数え切れないヤゴがいた。全部拾って近くの川に逃がした苦い思い出が…。稚魚はヤゴに全部食べられていた!